あこがれの花というものがあって、大抵は図鑑などで目にした好みの花であったり、小説や紀行文の中に出てくる作者の思い入れの反映した花であったり、あるいは知人や友人が実際に見て感動した話を聞いて、いつかは出会ってみたいと思うような花である。
リンネソウもそんな花の一つだった。
これは図鑑で見たのが最初で、その名前と花の風情、名の由来にしびれた。
18世紀のスェーデンの植物学者カール・フォン・リンネは分類学を体系化したことで今に名を残す、二名法の普及者だ。
それまでの複雑で難しい分類法を種名と小種名に単純化し体系化した功績は大きいという。
そんなリンネがことのほか愛したのがこの花だったそうで、それが元で和名になった。
人の名がつけられた花は多いけれど、これほどロマンを感じる響きを持ったものは少ない。
そのあこがれの花に初めて出会ったのは何年か前、阿弥陀岳の御小屋尾根を下って長い山稜を辿っていた時だった。
その日は山梨側の真教寺尾根を登り、赤岳を経由して御小屋尾根を下るといういわば赤岳横断縦走を試みたのだったが、情けない事に中岳の辺りで突然足がつってしまい、余程行者小屋へ下ろうかと思った程だったけれど、何とかだましだまし阿弥陀を越え、悲壮な思いで歩いていたときに偶然に足下に咲くこの花に目が止まったのだった。
長い茎の上に下向きの淡紅色の鐘型の花を二つ付けるこの植物は、実際に目にすると思いのほか小さかった。それでも偶然の出会いに感動し、残り少ないフィルムを惜しみながら夢中で写真を撮ったことを今でも良く覚えている。まだフィルムの時代だった。
草本ではなく、これでもれっきとした木本だという。
この花が咲く時期はアブが多く発生する。
そのアブと格闘しながら撮った写真は少し露出オーバーだったけれど、今でも大切なリバーサルフィルムにの一片として手元に残っている。
リンネソウと聞くと最初に思い浮かべるのが「輪廻」あるいは「輪廻転生」。
こんな言葉が名前になっている花だったらそのいわれは一体なんだろう?というのが最初に浮かぶ疑問だ。だから分類学の父などと謎解きされるとかえってそのミステリアスな印象はいやに平板なイメージに転化してしまうものだ。
もっともマニアックな植物好きなら話は別だけれど。
特にスピリチュアルに傾倒するわけではないが、この言葉にはある蠱惑的な響きがある。
英語ではReincarnationと言うらしい。
そういえば昔のユーミンの曲のタイトルにもあった。
ここにも発音の正しさは知らないけれど、やはり別の花の名前が隠されている。