島々谷の帰途、カケスの羽を拾った。
そういえばこの春は随分カケスに出会った気がする。
早春の笹子峠。新緑の奥多摩。そして梅雨のさなかの保福寺峠。
大概はどれもつがいのようだった。
カケスは少年時代に覚えた鳥のひとつで、その頃住んでいた職員住宅の塵捨て場の常連だった。
父の勤務先の職員住宅は三軒長屋が多く、周辺には同じような長屋や個建てがかなりの間隔で森の中に点在するだけで、塵も建物から少し離して掘った露天の穴に平気で捨てていたのだから、今では環境教育のメッカも思えば随分鷹揚な時代であったわけだ。
そこにはカケスだけでなくオナガもカラスも野良猫も野良犬も交互にやってきては餌を漁り、時には縄張り争いなど演じて、姦しいものだった。
だから毎日のように群飛するオナガの青灰色と黒いベレーのシックな姿を飽かず眺められたのも今となっては随分贅沢な時間だったとも言えるだろう。
鳴き声はカケスとオナガ、どちらも似たり寄ったりのだみ声には閉口させられたけれど、尾の長い分だけオナガに優美さを感じたのも子供心では無理もなかった。
しかしそれから数年して思いがけずカケスはかけがえの無い鳥になった。
グレン・グールドは1932年、カナダのトロント生まれ。
幼少時からその音楽的才能を発揮し、13歳の時トロント交響楽団と初共演してピアニストデビュー。その後欧米を中心に著名なオーケストラや指揮者との競演やリサイタルなど演奏活動を続け、31歳の時突如公開演奏の場からの引退を表明。以後録音と音楽プロデュース等に専念。
1982年、50歳の若さで急逝した。
天才、奇才、人間嫌い、孤独、エキセントリック、潔癖性、車好き、スピード狂、釣り嫌い、ヒポコンデリー等彼を形容する言葉には事欠かない。事実この通りでもあり、また多くの誤解も含まれているのだろう。
極度の寒がりで、真夏でも厚手のオーバーを着込み、毛糸のマフラーをぐるぐる巻きにして、おまけに手袋まで身に付けていたという。
常に多種多様な薬を常用し、ミネラルウォーターも欠かせなかった。
グールドを知ったのは東京に出てから数年した頃。きっかけは覚えていない。
多分その頃夢中になり始めたクラッシックやジャズに関する雑誌の中でか、偶然手にしたレコードの解説によってだったか。
いずれにせよ最初に買った彼のレコードはバッハの「ゴールドベルク変奏曲」1955年録音のCBS版だったことは確かだ。
いわゆるアメリカでの「衝撃的なデビュー」直後に録音されたもので、その独特の演奏からクラッシックファンのみならず当時のヒッピー世代にも広く受け入れられたという。
このレコードは今でも手元にある。
カケスに戻ろう。
その後グールドのレコードを買い続ける内に「GlennGould The Mozart Piano Sonatas, Vol.4」と出会った。カケスはここに登場する。
ここにはモーツァルトのピアノソナタ第11番イ長調K.331が納められていて、音楽通にはあまりにも耳慣れた、言い換えれば通俗の極みともいえる「トルコ行進曲」付きであったがために、あえて購入したのだった。
いわゆるピアノ名曲集などにこの部分のみ収録されていることが多かったこともあり、耳に慣れ過ぎてあまり玄人受けしない楽曲だったのだろうけれど、とにかくアカデミズムに触れたい衝動に駆られていた「山出し」の身にとってはそんなことは全く関係はなかった。有名な曲が聞いてみたい。その一心。
衝撃は静かに、そしてとてもゆっくりとやって来た。
レコード盤に針を落とす。
少しの間をおいて微かに第一音が響くと、その後本当に止まりそうな程のテンポで最初のフレーズが続く。そしてグールド本人のハミングとも歌ともつかない声。
こんな演奏は聞いたことがなかった。
明らかにテンポも速度も無視した音の連なり、行間ならぬ音と音との間に展開する色彩空間。
「音楽」の極み。快感原則の極致。人による演奏が到達したひとつの完全な地平。
大袈裟にいえばこんな印象を持ったのだった。
今でもこの冒頭の数分はグールドとモーツァルトという二人の希有な才能とある意味での偶然が生み出し、音楽がなし得た最高の表現だと思っている。
他者がどう思うかは別としても…。
アイボリーの地に消え入りそうなハーフトーンで描かれたモーツァルトとグールドのスケッチが両面に載るレコードジャケット。
30年余りを経てすっかり色褪せてしまったけれど、カケスはその上にやはり彩色されたハーフトーンの姿のままいつまでも羽ばたき続けている。