「高嶺の花」という言葉がある。
あこがれつつも手の届かない女性を、高峰の岩陰にひっそりと咲く稀少な花にたとえた言葉であるのは言うまでもないが、今ではこの言葉が意味するような対象そのものが絶えて久しい感もあり、ほとんど死語に近い。
若い人はまず知らないし、ほとんど使わないだろう。
ここでは本当の「高値の花」の話を。
今年もツクモグサに始まる高山植物遍歴はキタダケソウを経て現在順調にコマクサに至った。
先月末の北岳は例年より少し時期が早かったとはいえ、花の数、種類ともやはりその存在感は大きい。
それに比して八ヶ岳はスケールには劣るけれど、稀少な種類や生息環境の特異さ、周辺の景観とのコントラストなどにおいてやはり素晴らしいワイルドフラワーフィールドと言って差し支えないだろう。
数日前に下見で登った横岳の三叉峰へ突き上げる杣添尾根は数年ぶりだったせいか、いやに長く感じられたけれど、林床にセリバオウレンの朔果が珍しかったり、ヒメイチゲなどもまだ咲いていて気を紛らせてくれた。オオシラビソの新芽を覆う球形の薄膜もほんのりとピンクに色づいて花の蕾のようだった。
かなり上部まで樹林に覆われたこの尾根は最後の20分程のみが森林限界を越えた這松帯の登高となる。
もう少し途中に展望でもあればこの尾根の値打ちも上がるんだろうけれど、こればかりは愚痴っても仕方がない。
稜線は静かだった。
尾根では下山者は多かったが、追い抜いたのは三人のみ、それも真っ直ぐ赤岳方面へと向かったようだ。
一人をいいことに少し縦走路を外れて花の撮影に専念する。
顧客と歩くときには絶対踏み入れない主脈から張り出した岩峰のピークへと続く細い踏み跡を用心して辿ると、思いがけずウルップソウの群落に出会った。
小さな株から今まさに見頃な大株まで多様な形態を見せて礫地の一角を埋めている。
清々しい青花の集合花がつやのある厚めの葉に良く映えている。
一瞬雲間から日が射す。
周囲のガスも切れて、阿弥陀の山腹が姿を現した。まだ雪渓が一筋残っているのが見える。
花は曇天下や雨後の露に濡れた条件が最も絵になるとされているが、こんな風に恩寵的な光のもとでの姿も素敵だ。
再び縦走路に戻りすぐ先の横岳主峰「奥の院」を目指した。また霧が寄せる。
尾根の下部で丁度見頃のマイズルソウを写す。
オオシラビソの新芽。薄膜をかぶってまるで球菓のようだ。
塩竈の類では華麗なたたずまいのミヤマシオガマ。ルイ王朝期の貴婦人を思わせる。右にはウルップソウの花穂も見える。奥もその歯。
梅雨時の八ヶ岳を代表する花チョウノスケソウ。発見者の名前が付けられた。これでも常緑の小低木。