今回の低気圧、中心気圧950ヘクトパスカル、最大瞬間風速39.4メートルを記録したという。
八ヶ岳山麓でも昨夜半から猛烈な風が吹き荒れ、今日も夕方まで強風と寒気。周囲の山も雲に覆われ、時ならぬ厳冬期の様相を垣間見せてくれた。
幸い山の事故のニュースは入ってこなかったが、さすがにこんな天候では事前の脅迫的予報も手伝い、出かけた人はいなかったのだろう。
山では意外に初冬と春先に遭難事故が多い。
いわゆる予期せぬ天候悪化という事態に対応出来なかったことになる訳だが、厳冬期と違い装備や心構えが出来ていなかったといえるのだろうか。
登山史を見ても、この時期になぜかプロと呼べる登山家も多く遭難している。
「春の嵐」といえば、どこかで聞いた小説のタイトルだったので、調べてみたらヘルマン・ヘッセの同名の作品だった。
ヘッセの小説は一時随分読んだ気もするし、この本も文庫版がある時まで本棚に並んでいたようにも思うが、作品に関しては記憶が曖昧だ。
あるアクシデントがもとで肢体不自由者となった主人公の青年がやがて作曲家となり、様々な人間模様に翻弄され、やがて老境に至って平安を悟る。というような内容のようなのだが、どうも覚えていない。
ヘッセといえばノーベル賞作家として世界的に有名だけれど、水彩画家としても評価が高く、確か作品集も出ていたように思う。
戦前に詩人の尾崎喜八と親交があり、尾崎喜八の初の紀行文集「山の絵本」に挿画を進呈している。
尾崎喜八や「山の絵本」についてはいずれまた書きたい。
前述のようにヘルマン・ヘッセはとてもなじみ深い作家の一人だ。
私が幼少期を脱し始めた頃、つまり中学生になった頃初めて接した大人の文学作品と呼べるものがヘッセのものだった。
それまで目にしていたものは、家に数冊あった絵本や童話、小学校の教科書、図書館で借りることができた児童書(シートン動物記は愛読書で図工の際の木版画の授業で、挿絵を映したこともある)、図鑑などといったものだったからから、たまたま家の本棚に並んでいたハードカバーの小説の一つに手が伸びたのがどんな理由だったかはやはり覚えていない。
タイトルは「車輪の下」。「知と愛」ともに収められたこの作品はなぜか14歳の少年の心に重く響いたけれど、今回はそれについては書かない。
ただその頃通っていた中学があったローカル線沿いの駅前の雑貨屋を兼ねた文具店で、申し訳程度の本しか並んでいない書架からヘッセやジイドの文庫本をなけなしの小遣いをはたいてぽつりぽつりと買い出したのもこの本がきっかけだったことは多分間違いない。
まださすがに老境とまでは自覚していないけれど、それ相応の年齢を重ねれば誰でも身体器官のどこかに不具合を感じ始める。
若ければそれは脅威だし、何とか改善に努めようと必死になるに違いないけれど、「春の嵐」の主人公のように、どこかでそれと向き合い、馴れ合い、共存してゆく時期というものも必ずやってくる。
現実に周りを見ても、そう、彼も、彼女も、そしてあなたも、という具合。
小雪混じる「春の嵐」に吹かれてみれば、どうもそんな思いだけが浮かんでくる。
歳かな?
嵐の後には月が出た。