暗闇の中に小さなローソクの炎を灯す。
そこに浮かぶ光景が世界の全てだ。普段では考えられないくらい小さく頼りない世界。
テレビやパソコンが機能しない生活はまさに私達を盲目にする。
そして予期せぬ大停電は暖房器具を電気に依存する人々を寒さに震えさせることにもなる。
電気という科学がもたらした近代の産物は文明そのものと言い換えてもいいくらいの価値であったと再認識する瞬間でもある。
ゲーリー・スナイダーの本(*)の中に「エネルギーには三つの時代がある」という引用がある。
科学者であり作家でもあるウェス・ジャックソンという人の見解として紹介されているこの言葉は、全てのエネルギーは太陽からもたらされ、問題はその古さだという意味を持っている。
一番新しいものは木を燃やすこと、これは今年のエネルギーだから。
次に古いのは石油。これはまさに現在の熱エネルギーの主体であり、電気を生み出し、自動車を走らせ、スペースシャトルを飛ばす源となる。そして地球温暖化をもたらした。
そして最も古いものが核エネルギー。これは太陽と同じ年齢であると。
古くなる程に大きくなるエネルギー量。反面それは制御の難しさをも意味する。
地震もまた地球の持つ膨大なエネルギーのほんの一部の気まぐれな放出であり、それに対して地表の生命はあまりにも無力だ。
日頃から日本アルプス造山の歴史を語る際、プレートテクトニクス理論を引用することもある。
半ば得意げにこれを語ることが恥じられるほどの今回の皮肉。
今はただ気仙沼にいる友人の無事を祈りたい。
(*)ゲーリー・スナイダー/山尾三省対談集「聖なる地球のつどいかな」(山と渓谷社)