今日は夏至。
昼前からの雨が止まない。
19日は桜桃忌だったので、遅ればせながら買ったサクランボをガラスの器に盛ってみる。
私は断じてダザイストではないし、無論ハルキストでもないと思っている。
絵をやっていた頃はダダイストぐらいにはなってもいいとも思ったけれど、それも泡沫の夢。
それでもある時期の青年特有の憂愁というものがあるとすれば、その当人がさ程ロマンチストではないにしても、実際の作品を読んでというより、巷に流布された虚像としての太宰像をその心面に一度くらいは映してみるぐらいのことはあったわけだ。
当時三鷹の外れに住んでいて、玉川上水の畔は通学路でもあったし、太宰の墓のある禅林寺は三鷹の南口に程近かった。
よく駅前の「田園」に珈琲一杯で長々たむろして、それでも時間があれば禅林寺に足を向けることも一度ならずあったように思う。
そんな時は自分ではあまり吸わないタバコを一箱買って、線香代わりに墓前に手向け、何となく無頼な同士気分を味わったのかもしれない。
太宰が入水した時は玉川上水も溢れる程に増水して、数日間遺体も上がらなかったそうだが、私が居た頃は随分と深い堀状にえぐれていて、たとえ大雨が降った直後でもその深さの半ばを超えることはなかったような記憶がある。
そろそろマツヨイグサも花期を迎える。
雨が上がったら久し振りに御坂峠にでも行ってみようか。

