月曜は昼前までは薄曇りだったので、午前の予定が終了してから北杜市津金地区にある海岸寺の紅葉を撮影しようと出かけました。
こんな日の柔らかい光線は色づいた木々を背景にした野鳥撮影にも最適なので、悩ましいところです。
毎朝のルーティンで野鳥の餌台にヒマワリの種を置きに行くと、キキキッという声と同時にアカゲラが飛び出し、近くのカラマツの幹に止まりました。
距離10mぐらい。こんな時に限ってカメラを手にしていません。
慌てて取りに戻り、レンズを向ける頃には既に射程距離外に移動したあとでした。
まさにマーフィーの法則そのものですね。
少し粘って愛想のいいゴジュウカラを数カット撮ってから、野鳥は諦め海岸寺へと向かいました。
まずは途中にある清里湖に立ち寄ります。
ここには鴨類が冬の間集まるので、まずは偵察。
マガモのグループが少しいるだけでまだまだ本格的な飛来は先のようでした。
残念なことにここに来る途中から青空が広がり、直射日光が降り注ぎ始めました。
それにしても暑い。全く異常気象です。
余程海岸寺の撮影も諦めようと思いましたが、紅葉はコントラストが強く出過ぎるとしても、樹陰の石仏はなんとか撮れるかもしれないと気を取り直し、向かってみることにしました。
再度道草を食って、以前から気になっていた笠無山も撮影。
樫山集落からの端正な北面を狙うつもりでしたが、斜面下部の一角が広範囲に伐採されていて、がっかり。長く伸びる尾根が端正な山容もこれでは台無しでした。
再度気を取り直して海岸寺へ向かいます。
駐車場に着く頃には陽も少し西に傾いたとはいえ、相変わらず強い日差しに写欲も失せ気味ですが、懐かしさも手伝ってか自然に山門へと足が向かっていました。
ここを訪れるのは多分30年振りぐらいでしょうか。その佇まいは少しも変わっていないように見えます。
幸い境内には誰もおらず、秋の日差しが木の間越しに注ぐ以外は時折舞い落ちる銀杏の葉が目に留まるぐらい。丁寧に掃除された敷石や玉砂利を踏む音が気になるほどの静かさでした。
日はどんどん傾いてゆくので、感慨にばかり耽ってはいられません。
まずは境内にある大銀杏と観音堂を背景に石仏群を撮影。
やはりコントラストが強すぎて思うような写真にはならず、おまけに観音堂もほとんどが銀杏の陰になってしまいました。
この時点で少し折れかかったマインドでしたが、段下の石仏群が更に日が傾いて日陰になったのを幸い、そちらへ移動。
ここも理想的な条件というわけにはいきませんでしたが、良い顔の観音菩薩を見つけ、しばらく撮影に専念しました。
海岸寺の石仏は西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の各札所の観音像や延命地蔵尊などを移したものとされ、百番観世音と呼ばれているそうです。これらの石仏は高遠石工と呼ばれた制作集団の一人守屋貞治の手になるものです。明和2年(1765年)から天保2年(1831年)の68年の生涯に336体の石仏を残し、百番観世音はそのうちの約3分の1にあたるといわれています。
少し釣り上がった目尻、端正な鼻筋、微かな微笑みを湛えた口元、その独特の表情はどの観音像にも共通し、ひと目で守屋貞治の作とわかります。
30年近く経って自身も、この地を共に訪れた人たちも、その容貌も境遇もすっかり変わってしまいましたが、石に彫られた仏像たちは何ら変わることなくその拈華微笑を湛えたまま同じ場所にありました。
先日の伊勢神宮といい、この山上の仏閣といい、いつの間にか心静まる場所に惹かれる歳となってしまったようです。
清里湖の紅葉。最盛期はあと数日後か。鴨類は少なかった。
樫山集落から望む笠無山。正面下部の山肌が伐採されて痛々しかったので、手前に紅葉した森を配した場所で撮影した。
海岸寺に移動。イチョウの黄葉にはまだ早かった。右手上が観音堂。石仏との組み合わせは難しかった。
紅葉とのコラボは諦め、石仏撮影に専念する。日差しが強いのでハイコントラストになるのが悩み。
守屋貞治の好みなのか、聖観音が多い。左が立像、右が座像。
この坐像の表情がとても好ましく感じた。
これも蓮の花を左手に持っているので、聖観音か。頭部が欠損しているのは廃仏毀釈の名残か。
これも聖観音に見えるが、左側に蓮の花と開いた葉のようなものを持っている。
地衣の付き方といい、表情の端正さといい、結局この坐像に戻ってきてしまう。
まさに拈華微笑、悟りの境地を示して揺るがない。