月の初めには編笠から西岳の縦走ガイド。
定まらない天候の中、無事に終了して一安心した。
青年小屋ではTさんの独壇場で、ワンマンショーも複数回、深夜まで盛り上がったらしい。
トイレがすっかりきれいになっているのには驚いた。
それにしても源次新道の林間の苔や地衣、種類が多くきれいなのには驚く。
雨でなければ途中の草地に腰を下ろしてのんびりと観察したかったけれど。
今回は写真も控えたので画像はない。
初日の編笠山の登り、途中までは雲海の上に富士や北岳方面がくっきりと望まれたのも束の間、山頂では惜しくも上がってきた雲に紛れてしまった。
そんな風景にふと加藤泰三を思う。
彼の画文集「霧の山稜」には八ヶ岳を扱ったエッセイが二編だけ出てくる。
その中で編笠が登場するのは「山上の我が家」。
山好きの青年が過ごす一人きりの山小屋の夕と朝の情景。
そこに描かれたイラストは今も変わらない編笠の姿そのものだ。
昭和19年6月、ニューギニアのビアク島で戦死した青年彫刻家でありデザイナーであった著者。
現在でも決して新鮮さを失わない筆力に満ちた挿絵の数々と、時代の暗さを微塵も感じさせない屈託ない文章は、今も変わらない若き登山者の心情を鮮やかに描き出している。
僅かに33歳。
今回のクライアントの平均年齢よりも遥かに若い才能を戦争は当たり前のように奪っていった。
今日我々が何ものにとらわれる事無く登山できる平和は過去の無為の中から生まれたものではない。
かえりみればわが来し丘のうへに
わが日ごろ愛する幼児ゐてわれを呼べるなり
こゑは夕かぜにまぎれてきたらねど
そのあかき唇うごくがみゆ
なにごとを伝へるかわれ知らねど
幼児はみづからにきこゆるもの
人にも解しうるとかたく信ずるが如く
なおもとほき夕風のなかよりわれに語るなり
「山上の我が家」文末に載せられた中川一政の詩も画家特有の鮮烈な情景描写に満ちて深く心を打つ。
山頂直下の直登。日差しが無いので暑さには悩まされなかったが、この辺りから山が雲に閉ざされてしまった。
クライアントの女性からの差し入れ。手作りのパワーバーである。美味しくいただく。
山頂からは一瞬権現方面が見えた。北アルプ方面は雲の中。
青年小屋目指して岩原を降りる。このあとT氏の熱烈歓迎が待っていた。
加藤泰三が昭和16年に出した画文集「霧の山稜」に収録された「山上の我が家」。ここに編笠と青年小屋の前身の小屋が出てくる。
確かなデッサン力に裏付けられた挿絵も魅力だ。
こんなコミカルなイラストも。戦前のものとは思われない新鮮さに驚く。
その表紙。山書コレクションの中でも最も貴重な一冊。