ガイドの下見がてら、彼のウォルター・ウエストンも歩いた針ノ木谷の一部を遡行してきました。
初日は扇沢から入山。針ノ木峠まで信州側を遡行し、一旦ルートを南に取り、七倉岳まで。船窪小屋テントサイト泊としました。
この日は快晴。
足取りも軽く篭川沿いの路を行きます。
樹林を抜け出ると崩壊地の向こうに雪渓の残骸が見えてきました。
この時期になると雪渓の崩壊も進み、岩壁の迂回路を巻いて行きます。
最後の電光路を上り詰めると日本三大峠のひとつ針ノ木峠です。
針ノ木岳をピストンした後、蓮華岳を経由して七倉岳へと向かいました。
それにしても針ノ木からの劔を始めとする360度の山岳展望はまさに絶景。時間の過ぎるのも忘れる程です。
この日は8月に歩いた鷲羽、水晶方面も懐かしく望まれ、我が八ヶ岳や富士山までも終日見えていました。
翌日は船窪小屋のテン場を6時に出発。
一旦針の木谷に下降し、今度は富山側を再度峠に向け遡行を開始します。
それにしても船窪岳からの下降路は思った以上に良路でした。
谷に降りれば全くの沢歩き。マーキングを頼りに徒渉を繰り返しながら慎重に谷を詰めます。
やがて出合着。ここで仕切り直して狭まった枝沢へルートを変え、少しづつ標高を稼いで行きます。
特に悪いところもなく、何とか登山靴を濡らさずに歩いていたのも束の間、今度は雨が落ちてきました。降りが弱いのが救いでしたが。
本流出合から小規模な徒渉、巻き、トラバースを繰り返すこと1時間弱で水が枯れます。
その後沢床を離れ、ナナカマドやダケカンバの茂る薮斜面を延々と登って、谷に降り立ってから3時間程で針ノ木峠に周遊を果たしました。
この峠越えのルート、登山者も多いことから長野側は登山道整備が進んでいますが、富山側は廃道に近い感があります。それだけ利用者も少ないのでしょう。
とはいえ上部の踏み後は比較的明瞭で、下部の沢筋のマーキングもしっかりしているので、沢歩きの装備・経験とルートファインディング能力があれば難しいという程でもないと思います。
但ししっかりと天候判断して増水にだけは気を付ける必要があるのは言うまでもありません。
それにしても今でも決して楽なルートとは言い難いこの峠越えを戦国武将佐々成政が冬期に越えたり、明治期には信州~越中間の通商路として整備がなされたりしたというのはまさに脅威的な出来事ですね。
同じく明治期ににこの峠を越えたアーネスト・サトウやウェストン、木暮理太郎なども含めまさに先人恐るべしといったところでしょうか。
スタートは扇沢。
谷の彼方に針ノ木岳。
燕岳や針ノ木岳の開拓者。百瀬慎太郎氏のレリーフ。
篭川を遡る。
雪渓も大分縮小している。
ウメバチソウも可憐だ
峠も間近か。
峠の標柱。黄色の塗装はスイスのよう。
まずは針ノ木岳へ。
山頂。
黒部湖越しに立山、劔。
峠に戻って蓮華岳を目指す。
蓮華の大下りを振り返って。
北葛岳山頂。
ここでセルフポートレイトを一枚。
七倉岳から船窪小屋を遠望。
テント場の水場。恐ろしい崩壊地の中腹にある。
翌日はまず針の木谷本谷に降りる。
枝沢出合。
下流の渓相。
マツムシソウが一株咲いていた。
中流部。
水が枯れた。
路は次第に河床から離れる。
ユキザサの実。ほんのりと甘いが青臭い。マイズルソウの実のよう。
来し方を振り返れば。
振り出しに戻った。