8月中旬からは里の勤務がメインで山らしい山に登ることもできなかったので、9月12日から14日まで、遅い夏休みとフラストレーション解消、自己研鑽を兼ねて穂高の岩尾根を歩く。
既に花期も終わり、草紅葉が冷気を孕んだ風に揺れるだけの岩稜縦走は、予定調和のない厳しい手応えとともに、今年最後の夏山を深い充実感とともに締め括ってくれた。
雨の上高地バスターミナル。
河童橋にも人影はまばら。
今回は雨を避けて徳沢園に立ち寄ってみた。
Michikusa Cafeのコーヒー、¥550。
横尾への途中では小降りとなったが。
再び激しい雨の横尾。登山者も少ない。
梓川も大分濁りが入っている。
ガスかかる屏風岩。
この時期を彩るソバナのブルーパープル。
横尾本谷もガスに覆われていた。1891年7月、ウォルター・ウェストンはH・W・ベルチャーとともに初めての槍ヶ岳登頂を目指してこの渓を遡った。
随分と寂しい涸沢のテント場。黄土色の型枠用のコンパネはレンタルテント用の土台パネル。
12人目にならないよう、心して行こう。
岩原の我が家。それにしてもここの幕営スペースは地面の凹凸がひどい。エアーマット持参で無いととても寝れない。
夕食はこれ。この夜はビールは自粛した。寒い。
朝日を受ける涸沢小屋。明け方まで降った雨もようやく上がったので、予定より1時間半遅れでとりあえず出発する。
ザイテングラード上部でようやく青空が広がった。
まずは奥穂。飛騨側からの風が冷たい。この後山頂の風裏で濡れたフライシートを乾かすが、そう簡単にはいかなかった。
これから辿る稜線。上高地側のガスが気にかかる。馬の背にはジャンダルムの山頂で快哉を叫んでいたカップルが立っている。彼らとはこの後すぐにすれ違う。
このコース上もっとも悪いと感じる馬ノ背を越えてロバの耳辺りからジャンを間近に見る。全く魁偉な姿だ。
ジャン山頂の「山の天使」。ミカエルかガブリエルか、じょうろを手にしているのは何故?
前日悪天候だったせいか、同方向へ向かう登山者はほとんどいない。なのでこれはセルフタイマーで撮影。この後岳沢から上がってきた青年と暫し歓談。
ジャンの先の稜線でなんと同じガイド協会のEガイドと出会う。
紅葉したミヤマダイコンソウがきれいだ。
これもツアーなのだろうか。ロープは繋いでいないがガイドらしきトップとクライアントが後続している。
天狗のコル手前の稜線。奥にはガスの中に天狗岳(天狗の頭)が見える。
天狗のコル。天狗沢への分岐ともなっているが、あまり降りたくないコースだ。
天狗の頭を越えると「間天のコル」への逆層スラブの下りとなる。
ここで単独登山者が後続してきたので、逆層スラブの写真は取れなかった。画面左に切れている辺りの斜面を長めの鎖を頼りに下る。
間ノ岳へ向かう尾根上の槍岩。そういう地名があるわけではないが、かつては槍ヶ岳山頂にもこれが沢山あったという。
ヤマナメクジだろうか。この辺りには数匹がうろうろしていた。しかしどうやって冬を越すのか不思議。
間ノ岳。以外にこじんまりしたピーク。
赤石岳のピーク。奥には笠ヶ岳が見える。
ここで温存してきたトロピカーナを空ける。あっという間に飲み干すが、やはりみかんの缶詰の方が数倍美味しい。
ようやく西穂に到着。ここまで穂高岳山荘から5時間を僅かに切るペースだった。ルート上に雲が掛かるのがいやであまり休まなかったが、早立ちできればもう少し余裕を持って歩きたい。
このコースはできるだけ好天時に登り、岩が濡れていない、ルートが見通せること、時間に余裕を持ってマイペースで歩くこと、ほとんど全て岩稜帯なので、バックステップや三点支持など安全確保のための確実な技術を徹底すること。できれば混み合う時期をずらし、悪場での渋滞や落石のリスクを回避すること。自身も含め山慣れない人や岩場通過の技術や経験のないパートナーは同行させないことが踏破の最低限の条件。
西穂からの下り、上高地側の雲が取れ下界が見渡せる。帝国ホテルの屋根はいつも目立つ。
翌日が好天予報のせいか、西穂山荘のテン場もかなり混みあっていた。ようやくテントを乾かす。
今宵の夕食はFDのおこわと豚汁。あまり飲みたい時期でもないが、けじめとしてスーパードライの500mlを空ける。それでもここまで水とポカリ1本以外は補充無しで何とか来れたのでまずまずとしよう。
最終日は朝から快晴。多くの登山者が出かけて行ったが、そのうち何人が奥穂まで行くんだろうか。いぜれにせよ今日の稜線は混みそうだ。展望も素晴らしいに違いない。
山荘から下はまだ夏の名残りの花が残っている。
ゆっくり下っても上高地までは2時間。昨日歩いたスカイラインを眺めながら梓川河畔をぶらぶらとバスターミナルまで戻った。さすがにこの日は筋肉痛に悩まされた。