数日前に風雨と共に吹き散った家の前のウワミズザクラの黄葉。
そして今日は雪が舞う。
まさに一日毎に季節は深まってゆく。
後に残るのはこれから訪れる厳冬に身も心も覚悟の追いつかぬ、ふたたびの穏やかな秋の日差しを焦がれるだけの愚かな魂のみか。
十月の終わり、まさに暖かな秋の日差しが落葉を始めた樹々を斜めに透過する午後、一人森の中に居た。前夜の雨が山道のくぼみを泥濘ませ、笹原を縫って流れる細流は普段よりもその水嵩を増している。
別段目的もなく森に分け入ったわけではないけれど、その一時間程で通り抜けてしまう程の山道を往復する間とうとう誰にも会わなかった。
その山道の中程に火山礫が帯状に、ようするに川の流れのように緩やかな斜面上方から下方に向かって流れ下っているような地形がある。といっても枯れ沢という佇まいでもなく、あくまで岩礫が連なっているばかりだ。その場所は夏の間通りかかるといつも囁くようなかすかな水音が聞こえる場所でもある。水琴窟程金属的でもないが、何かころころと明るく、爽やかな響きがする。目に見えないだけにその伏流水が岩原の空洞に反響するかすかな響きはどうにも距離感がつかめない不思議な快感をもたらすのだ。
表面に水の流れは無いとはいえ、やはり水湿な環境にあるのだろう、その脇には一本のサワグルミの樹が立っている。その株立ちの梢にはまだ散り遅れた葉が残っていて、斜めに差しこむ午後の日差しを柔らかく透かして輝いていた。根元の周囲には自身のものも他のものも入り交じって色づいた落ち葉が散り敷いて、上方の三次元の色彩をそのまま反転して映し込んでいるようだ。
「美しい」という想いはこんなときにこそ素直に湧き出るものだ。
穏やかな秋の午後、一人だけで森に居ながらも感じるこの感覚。人が自然を美しいと感ずる心。
一体これはどこから来るのか。自然は何故美しいのか。あるいは本当に美しいのか。
いつから人はそんな感覚を持つようになったのか。
これは少し考えてみてもいいだろう。
原初の昔、人がまだ狩猟採集の生活をし、洞窟に住み、あるいは簡素な竪穴住居に暮らしていた頃、大地は盛んに活動し、一部の火山は激しく噴煙を吹き上げていたことだろう。
それでもこの地には四季があり、人々は春を待ち、夏と秋を豊穣の季節として尊び、その恵みを持って冬に備えたのかもしれない。それはまた厳しい自然環境の中で、飢えと害獣とにおびえ、外敵と戦い、その日一日をとりあえず長らえる、そんな日々の繰り返しだったはずでもある。
旧人といわれるエアンデルタールの人々の間には既に死者を悼む儀式の痕跡があったというのだから、日本においても縄文の頃には現在と変わらぬ感情のバリエーションは当然あった筈である。
異性に対する、子供や家族に対する愛情、同族に対する親愛の情や友情。
自然がもたらすものに対しても、豊猟や豊作への歓びと感謝。害獣や悪天候に対する恐れと畏敬。
あるいは獲物の不猟や飢饉への不安や絶望。
その頃には既に広葉樹の森が広がり、山麓や高山にも様々な花が咲き、鳥も歌っていたことだろう。
彼らはそれをどう眺め、聞いたか。
萌え出た新緑の輝きや秋の紅葉の彩り、それらはどんな風に目に映ったか。
草花は食草か否か、薬草か否か、鳥は食料として、森の輝きは豊穣の季節を知らせる証で、彩りを増した樹々の梢は来るべき荒涼の季節の到来を告げるのもであったか。
あるいは。
美とは相対的な価値観であると思う。
真に飢えている者にとっては野生動物もただの肉であり、極限まで乾いている写真家はいかに優れたモチーフといえどその只中に居る砂漠の風景を写し取ろうとは思わない。
寒さに震える者にはいかに珍しい古今の書物でも、あるいは有名画家の手になる絵画でも、暖をとる燃料に成り下がってしまうだろう。
衣食足りて…。というのは何も人間関係にのみ当てはまることではない。
山に居ても好天の稜線を歩きながら眺める目的のピークはいつも優しく親しいものだけれど、一旦荒れればそれはただ逃れたいだけの非情さで登るものに迫る。
日本でも縄文中期は温暖化がピークを迎え、森も豊穣で人口も多かったと聞く。
食に飽き、社会も形成され、土器に祈りの造形を試みる彼らに、果たして美という感覚が既に備わっていたのだろうか。そうだとすればそれ以前の旧石器時代は。あるいはその前は…。
秋という季節がもたらす豊かさとほんの少しの寂寥感に包まれて、森の中の岩原で暫くそんなことを考えていた。

