この急登を登るのは何年振りだろうか。
大岩山分岐の駒岩との間にギャップがあったのは覚えていて、そこにクモイコザクラが満開だった記憶だけははっきり残っていたが、これ程下り、また登り返えしさせられるとは。
人の記憶など全くあてにならないものだ。
展望台に着くと涼やかな風が吹いていた。
ようやくほっとする。
それにしても下界の暑さは異常だ。
ここまでで水の消費が予定を遥かに上回っている。
尾白川源流の深い谷を隔てて屹立する坊主岩は相変わらず険悪な表情で迫ってくる。
甲斐駒は曇天下に鈍くうずくまるようだ。
倒壊した祠は花崗岩の白砂に半ばその身を沈めて、岩質の違いからいっこうに同化できないもどかしさを持て余しているようにも見える。
この苦鉄質を多く含む岩隗は多分安山岩。現場で調達したものでは到底ありえないし、またそれでは意味もなかったはずだ。
それを彫り抜いて運び上げた先人達はどのような想いでここに安置し、何を祈ったのだろうか。
自然環境の変化が人々の生活に直結していた時代、科学技術や医療技術に頼ることもできず、それぞれに幸福感をもたらすものが田畑の豊作であり、家人の健康であった時代。
人は祈りの中にのみ希望や充足を見いだし、ひたすら謙虚に自然と向き合うことを自らに課して、生きてきたのだろう。
欲望も救済も小さなIC端末にすべてを託し、祈ること、そんなシンプルな行為そのものが失われてしまった現代。
こんな人と出会うこともまれな山に身を置けば、レジャーでもレクリエーションでもない全く別の登山のかたちに想いを馳せてしまうのも自然の成り行きというべきだろうか。
結局日向八丁尾根ではこの日二人の登山者にしか出会わなかった。

錦滝へ続く林道にはキハギが咲いていた。

コキンレイカ。この時期登山道脇を彩る黄金色の灯。

倒壊した祠はそのままだった。それにしてもこれだけのものをどうやって運んだんだろう。当時の甲斐駒強力の力量を見せつけられる。

祠の中には不思議な石仏が安置されている。

開山記念碑か。「鞍掛山二代開山三十周年紀年」と読める。

この展望地からの甲斐駒と坊主岩。鞍掛山山頂は展望無し。

この時期タマガワホトトギスも馴染みのある花だ。

こういった磐座をみると自然を崇拝した先人の気持ちが少しは理解できるかもしれない。森厳という言葉が相応しい。

日向八丁尾根からは甲斐駒を背景にした鞍掛がよく見えた。
