加齢とともに嗜好も変わるのか、最近では神社や寺といった歴史ある宗教施設に関心が向くことが多く、昨年の伊勢神宮もそうでしたが、そこまででなくとも近在の寺社を訪ねる機会が増えたように感じます。
このところ毎冬コハクチョウの渡りの時期には何度か安曇野へ出かけていますが、その際は諏訪湖から岡谷の探鳥地を経由して塩尻峠を越えて向かうのがルーティンになっています。
その途中、東山山麓広域農道を利用するのですが、通る度に「信州随一の厄除け観音・牛伏寺(ごふくじ)」という看板が目に付きます。
当初はさほど気にもならなかったものの、ネットで検索するとなかなか由緒ある寺院のようで、GWの期間中ではありましたが、帰省中の親族と訪ねてみることにしました。
寺院は広域農道からかなり奥に入った山深い地に建てられていて、GWの後半にも関わらず喧騒とは無縁の地。来訪者も少なく、静かな時間が流れるある意味異空間といえる場所でした。
訪ねた時がちょうど厄除けのご祈祷の時間だったようで、最奥の阿弥陀堂では護摩を焚いてご祈祷が行われていて、ガラス越しでしたが参拝のついでにその様子を見ることができたのは貴重な体験でした。
今回は高齢者も同行したので、じっくり境内を堪能することはできませんでしたが、また機会があれば訪ねてみたい場所となりました。

駐車場から車道を少し歩くと「牛伏寺」の名の由来となった古事が記された表示板がある。後ろはそれに因んだお堂。

長い石段の途中から見る山門。植栽もきれいに管理されている。

山門に掲げられた山号。真言宗智山派の寺院とのこと。奥はかつて庫裏として使われていた本坊。

如意輪堂。内部は内陣と両側に10畳の客間があり、かつては客殿として利用されたとのこと。茅葺きなのが珍しい。

内陣の奥には一面六臂の如意輪観音像が安置されている。

如意輪堂から仁王門へ続く石段下の両脇には名の由来になった牛のブロンズ像が置かれていた。

最奥の観音堂。ここで厄除けのご祈祷が行われていた。本尊は聖徳太子にまつわる由来の十一面観音菩薩。秘仏なので見ることはできない。

観音堂を正面から。江戸中期の建築物。牛伏寺は鉢伏山の中腹にあり、元はもう少し上部にあったといわれる。天文三年に現在の地に移ったとのこと。明治までは修験寺院として栄えたようだ。

太子堂と厄除けの鐘。

敷地最上段風景。左から仁王門、観音堂、奥殿(収蔵庫)。