解け残った日陰の雪も昨日からの暖かさですっかり腐っている。
野芝に覆われた廃道はそれでも歩き易い方だ。飯盛山へと続くこの道は林間の本道よりも明るく、こんな薄明るい曇天の日には多少なりとも心を晴らしてくれる。丈の低い灌木が茂る中にアオナシやズミが茨の枝を伸ばし、近くの茂みではカラ達がせわしく飛び回っている。
ひと際大きな声で鳴いているのはゴジュウカラだろうか。
計画停電も今日は中止。
連休中日にもかかわらず、山麓の観光地に人影はない。
しなければならないことは山程あるけれど、無性に歩きたくなったので、午後から出かけてみることにした。
こんな日はいつもの重いザックは家に置いて、デイパックに雨具と水筒だけ入れて、カメラもコンパクトを1台だけ。春の気配でも撮れれば儲け物ぐらいの気軽なライトハイク。
この時期に芽吹いているのは河畔のネコヤナギか少し下ってダンコウバイ、日辺りのいい土手にはかろうじていじけたフキノトウぐらいか。その辺り今年は未確認。
多く目につくのはガガイモの殻。この時期には文字通りもぬけの殻だけれど、初冬には輸送機に整然と座る空挺部隊のように綿毛のパラシュートを細長くたたんだ種子がぎっしり詰まっている。
そっとふたを開けるとその光沢は上質の絹糸のようだ。
ハンノキも多い。枝先からは一見種子のように見える花序がしだれ、開花を待っている。
カバノキ科の樹木も木である以上しっかりと花を咲かせるけれど、それが花だとは誰も思わないのがこの尾状の形態に由縁する。今は固く閉じている蕾みの集合体はやがて少しづつ緩んで、黄緑色の微小の花をその鱗片の間から覗かせる。
また美味しいけれど実の外皮に触ると痛い針毛がびっしり生えているツノハシバミも同じハンノキの仲間。中身を取り出すのが厄介なので滅多に食べないが、これは立派にヘーゼルナッツの仲間で、味は文句なしの一級品。炒って砕いてお菓子やパスタのトッピングに最適。
風に揺れるガガイモの殻
ハンノキの花序(蕾)
ツノハシバミはサンドグレーの渋い色
小鞍部からは泥濘の登山道となった。
この時期にはまだ地面の深部は凍結が残り、表面のみが解けるので、その水分を地中に吸収できないため溶けたチョコレートの中を歩くようだ。
そのため暫くは足元だけを見てズボンの裾を汚さないよう慎重に歩く。
この辺りは数年前に登山道が改修され、歩道の複線化を防止する措置がとられたが、効果が出るのにはまだ暫くはかかるだろう。初夏から夏にかけて咲き誇るニッコウキスゲやマツムシソウの群落は今はまだ影も見えない。
山頂に着くと急に風が出る。
ここではいつもそうだ。西の南アルプス方面は既に雨雲に覆われ、八ヶ岳の上部も霞んでしまっている。夕方から雨、の予報は当たっているように見える。
そういえばこの山頂には去年は一度も登らなかったな、とあらためて思い出してみる。
人生最初の山。それがここ。
冷えて来たので早々に下る。
帰りは獅子岩に下るコースを選んだ。
ぬかるみの残る西斜面から東斜面に移ると残雪の吹きだまりになり急に歩き易くなった。
シャーベット状になった表面は靴裏でバランスを取りながら滑り下るには最適。転倒だけを気にしながらグリセードもどきを楽しんで、あっという間に車道に降り立つ。
獅子岩のある平沢峠からは八ヶ岳はもちろん南アルプス方面の展望が素晴らしい。ドイツの地質学者エドムント・ナウマンがこの地に立って「フィッサマグナ」を発想したまさにその場所でもある。
それにしても連日報道される被災地とこの平穏さとの乖離はあまりにも大きい。
現地にも徐々に支援物資が行き渡り始めているようだが、未だ孤立状況にある場所も少なくないという。
加えて原発事故の収拾は先が見えない。
今回ばかりは被害の甚大さと範囲の広さにNGOの初動も遅れ、支援体制の構築にも時間がかかっているようだ。本格的なボランティアワークが実践されるようになるのはいつの日だろうか。
峠からの舗装路を歩き出した途端雨が降り出した。
この分だと夜になっても雪に変わることはないだろう。
そしてこの雨は確実に凍土を5ミリ解かすだろう。