木曽路を初めて歩いたのは今から15年前。
三月初めの奈良井から薮原までは雪中の鳥居峠越えだった。
その後この峠を花の季節に逆方向から二度ほど越えただけで、その後足を向けることはなかった。
それからまた10年。
思い立って妻籠から馬籠までの峠越えの旧道を歩いてみることにした。
動機はたまたま見たYouTube動画。
外国人が特に好むコースと聞いて興味が湧いたわけだ。
特に動画の中では「一石栃立場茶屋」をメインに扱っていて、外国人旅行者で溢れる様子は驚きだった。
「サムライロード」と呼ばれているらしい。
旧中山道の佇まいを残すこの両宿場を繋ぐ区間は江戸期の日本を、あるいは古い日本文化を追体験する貴重なシンボルコースなんだろう。
妻籠と馬籠は27、8年前に両親と甥とを連れて車で訪れたことがある。
その時は塩尻から木曽谷を抜けて、途中何箇所かの宿場を経由し、最後に両宿場に立ち寄って中津川から中央道で帰宅したと記憶している。
そんな曖昧な記憶を辿りながら、まずは妻籠へと向かった。
意外に長いドライブの末、妻籠の駐車場に着いたのが10時。
そこから軽いトレッキングの支度をして歩き出す。
平日の妻籠はまだ時間も早いと見えて人影もまばら。
くだんの外国人ハイカーは一人も見当たらない。
改めてこの宿場に身を置いてみて、その佇まいの素晴らしさに驚く。
保存された町並み、「観光地」を感じさせないリアルな生活感と歴史との融合。
1960年代に過疎対策事業の一環として始まった景観保存活動がいかに先見性に富んだものだったかということを痛感させられる。
そんな景観に浸りつつ、静かな宿場風景をゆっくり撮影しながら大妻籠へと向かった。
規模の小さな大妻籠を抜け、その先の集落から下り谷にかかる。
ここでとても印象的な光景に遭遇した。
雨戸が閉め切られた、色褪せた一軒の木造家屋。
その軒下にはビニールシートに包まれた2台のシニアカー。
かつてこれを利用したお年寄りは施設にでも入所したのか、あるいは...。
ファッショナブルな外国人観光客が行き交うサムライロードにもこんな日本の高齢化社会や過疎地域の現実が交錯する。
この情景はなんとなく身につまされる思いで眺めざるを得なかった。
杉の林間に続く古道にかかるとちらほら対向者が現れ始めた。
最初にすれ違ったのは日本人の中年夫婦。
その後は馬籠まで全て外国人、峠までは欧米系のハイカーばかりだった。
ざっと数えて26人。
意外に若者が多い。
笑顔で挨拶すると9割がた返事が返ってきた。日本語は2割くらい。
結局馬籠まで同方向に向かうハイカーには一人も出会わなかった。

駐車場から宿内のメインストリートまでは側道を行く。

森閑とした街道の佇まい。

豊作祈願のもち花があちこちの格子戸に飾られていた。

谷間の風景。

土蔵の白壁に陽が差す。

とある家では一面に雛人形が飾られていた。これは珍しいブランコ雛。

復元された本陣。「夜明け前」では寿平次の家。

防御設備でもあった「枡形」。

最初に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された「寺下」地区。妻籠の顔。

道脇にあった水飲み場。掛け流しである。

御左口(ミサグチ)神を祀る祠。ミシャグチは諏訪大社の起源とも言われ、全国に名を変えて存在するという。

宿外れから蘭川を望む。ナンテンの実が綺麗だった。

見慣れたジョウビタキも木曽産となると趣が違う。50%にトリミング。

大妻籠の集落。

この日は閉まっていたが、民宿も健在のようだ。

籠の一種が軒下に下げられていた。

まだ5.4Km。道標は整備されていて迷わない。

古道らしい石畳のトレイル。

日陰にはしっかり雪が残っている。下りの場合はこれが怖い。

2台置かれたシニアカー。閉ざされた板戸も意味ありげだ。

軒から下がった謎のネット。中には雛あられ様のものが入っていた。

至る所に設置されたクマ除けの鐘。
