最後の簡単な岩場を登ると間もなく山頂に出る。既に数人の先行者が眺望を楽しんでいた。
清滝小屋から約1時間。
思いの外狭い山頂からは奥秩父や西上州の山波越しに富士や八ヶ岳も遠望できる。
霞んではいるが、遠く穂高から槍も望まれるのも嬉しい。
麓や他の山頂から眺めても見紛うことの無い特異な山容。
古くから信仰の対象だったという両神山。
イザナギ、イザナミの二神を祀っている。
登山道脇にはそれを証する様々な石碑や石像、奥宮の両脇を固める狛犬ならぬ狼の石像。
狼は大神から来たのだとも聞く。
盗難除け、火災除けの霊験があり、やはり秩父の三峰神社などでも未だに多くの信仰を集めている。
ニホンオオカミは明治23年、北海道で絶滅した後、明治38年奈良県で最後の標本とされる個体がアメリカ人によって買い取られている。その後本州でも大正期か昭和の初めには絶滅したとされるが本当だろうか。
ユーラシア大陸からアメリカ大陸に生息するハイイロオオカミの亜種と考えられ、現在も中国などに生息する体重20kg程のものとほぼ同じ大きさだったと推定されている。
かつての日本ではオオカミは積極的に人を襲うことは無く、むしろ鹿や猪などから農作物を守る益獣として崇められて、自然信仰の対象として神格化されもした。
現在「送りオオカミ」という言葉は野卑な表現としてしか使われないが、オオカミが自らの縄張りに入って来た人間を興味の対象として縄張りの境界まで後をつけたという、純粋に本能的な行為だったようだ。
彼らの受難は享保年間に海外から狂犬病がもたらされ、それがオオカミにも伝播する頃から始まった。咬傷事故が相次ぎ「病い犬」と呼ばれたオオカミは次第に恐れられる存在へと変わってゆく。
明治期になり、海外からのオオカミ観が伝わるとその傾向は一層強まり、その評価は一気に害獣へと変わり、徹底的な駆逐への路を辿る。
かつて自然生態系の頂点に君臨したオオカミの居なくなった山野は鹿や猪の闊歩する世界と変じて、現在の鳥獣害の温床へと変わってしまった。
10月も下旬ともなれば晩秋の日差しは既に低く、下山を急ぐ山陰の沢路は寂しさを通り越して神気さえ感じられる薄闇が漂っていた。
山腹は錦に彩られていた。
眷属の大神。
その顔。
山頂から。奥に八ヶ岳。さらに奥には穂高が見えるはず。
モミジの輝き。