Amazon Prime Videoで「ノマドランド」を観た。
車上生活での漂泊を余儀なくされる高齢者をテーマにしたある種のロードムービー。
主人公のファーンを演じるのはフランシス・マクドーマンド。
以前やはりAmazon Prime Videoで観た事のある「ファーゴ」でも主役を務め、本作も含めアカデミー賞主演女優賞を受賞しているそうだ。
制作時期が異なるせいか、フランシス・マクドーマンドの印象も異なり、同一女優だとは全く気づかなかったけれど。
フランシス・マクドーマンドはこの映画の制作者でもあり、原作に感動して映画化権を購入したとのこと。監督の起用も彼女だ。
冒頭は貸し倉庫の前で主人公が亡くなった夫との暮らしの名残りの服や食器をキャンピングカーに改造したバンに積み込むところから始まる。
雪の積もる平原にかつての製造工場らしき建物を遠景として長く並ぶ倉庫。
夕方だろうか、ブルーグレイの抑えられた色彩が印象的でもあり、今後のストーリーの展開を暗示させる通奏低音の役割を感じる。
ネバダ州エンパイアにあった石膏採掘企業がリーマンショックの影響で2011年に工場が閉鎖となると、カンパニータウンであったエンパイア自体も消滅し、郵便番号すら抹消されたという事実が背景にある印象的なシーンだ。
原作はジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」とのことで、主役のフランシス・マクドーマンドとデビット・ストラザーン以外の登場人物はあえて実際の車上生活者を起用しているそうだ。
いわゆる社会からドロップアウトを余儀なくされた中高年層の「ノマド」(遊牧民・放浪者)がテーマとなっている。
身につまされる内容である。
様々な理由により彼らは孤独である。
しかしその孤独を感傷に置き換えることはしない。
ささやかな年金だけでは(アメリカ社会に基礎年金というものがあるのかは知らないけれど)暮らせないために、季節労働者として時にはAmazonの配送センターで働き、季節が変われば国立公園のキャンプ場で働く。
そこには生き抜くためのリアルな現実があるのみであり、悲壮感は無い。
ただその移動の途中は紛れもない旅であり、アメリカ西部の広大な荒野を貫くハイウェイからの風景や途中立ち寄る森や渓谷・海などの自然との触れ合いが孤独を癒す大きな要素として描かれる。
日本における車中泊の旅もスケールこそ違え、その意味は全く変わらない。
軽バン改造の気ままそうな若者や大型ワンボックスに長期休み中の子供達を満載した若いファミリー、立派なキャンピングトレーラーを牽引しているセレブ感溢れるリタイヤ組夫婦など、道の駅利用者も様々だけれど、目につくのは大小のワンボックスにキャンプ道具を満載した、ちょっとくたびれた中高年男性。
どことなく「尾羽打ち枯らし」と言った風情が漂うところはまさに日本の高齢「ノマド」といったところかもしれない。
けれどもそこには紛れもない自由がある。
これこそがかけがいのない魅力だ。
仮に限定された期間ではあっても、好きな場所を好きな時期に訪ね、未知のエリアを走り、好きな場所で寝る。
車の燃料費だけあれば、あとのコストは知れたものだ。
映画でも車の長期駐車の都合からか、許可された場所に同じ境遇の人々が集まり、そこでの適度な距離感を持った交流が描かれている。
それは情報交換の場であったり、お互いに必要とする物品のやり取りであったり、一時のレクリエーションであったりする。
けれどもそれはあくまで一時の触れ合いであって、結局最後にはまた一人ひとりの旅へと戻ってゆく。
これこそが車上放浪の、日本流に言えば漂白の本質でもある。
映画の中で、かつて臨時教師だった主人公に一人の少女が尋ねる。「先生はホームレスなの?」
「いいえ、ホームレスではなくハウスレス」と答える主人公の矜持こそがこの映画の主張なのだと思う。
現代アメリカ社会の影の部分をテーマとしながら、主役のフランシス・マクドーマンドの抑制の効いた演技、監督のクロエ・ジャオの生み出す細部までこだわったリアリティのある映像美が素晴らしい映画だ。
(シーンによってはフランシス・マクドーマンドと撮影監督がアンドリュー・ワイエスの絵画を参考にしたそう)
撮影に使われているバンは「フォード・エコノライン」ではないかと思われるけれど(フロントからのアングルがほとんど無いのであくまで推測)、このくらいのボリュームのある車だったら長距離の車中泊も楽そうだ。
とてもそれに匹敵する快適さは無理だとしても、もうしばらくはとりあえず足の伸ばせる愛車のアウトバックで車中泊ショートトリップを楽しんでみたいと思う。
愛車のアウトバックも新車からだと19年目。シリンダーヘッドのオイル漏れが指摘されていて、ガスケット交換なしで10月の車検が通るかどうか。2022年撮影。今年は雪が全くといっていいほど降らない。