この夏は随分映画を見た。
といっても全てAmazon Prime Videoである。
秀作駄作様々なものの中で特に心に残った作品がある。
「沈黙-サイレンス」。
2016年制作のアメリカ映画で監督はマーティン・スコセッシ。
遠藤周作の同名の小説が原作である。
小説「沈黙」は1966年に発表されているから、映画化は実に50年後。
マーティン・スコセッシが原作を読んだのが1988年とのことで、28年後にこの作品が生まれたことになる。
小説の発表は私が10歳の時だから、実際に読んだのはその数年後、多分10代半ばだったろうと思う。
当時のキリスト教会ではそれなりのセンセーショナルな受け止め方をしていたように思うし、この小説によって「隠れキリシタン」という存在(あるいは言葉)が再認識された契機になったという記憶がある。
正直言ってその内容はよく覚えていなかった、というのが率直なところだ。
ただ当時のキリシタン弾圧の手法、長崎西坂刑場での穴吊りや雲仙地獄などの残虐な拷問や踏み絵。キチジローの不甲斐なさ。そして「神の沈黙」。
そんなところが断片的に覚えていた部分である。
私が10代後半から20代にかけては遠藤周作も時の人で、何かにつけ北杜夫と共にメディアにも取り上げられることが多かった。
「沈黙」の後も「死海のほとり」や「イエスの生涯」など話題となり、家にもあった関係からそれらも読み、それ以外にも初期作品は文庫でよく読んだ。
キリスト教に題材を取ったものも含め遠藤の作品には肉体的コンプレックスや西欧に対する鬱屈が感じられ、テーマの暗さも相まってあまり好感は持てなかったけれど、それ故に文化、人種を超えて現れる人間の本質を顕にする筆力に惹かれたのも事実で、作家としての力量にはそれなりの敬意を持っていたと思う。
因みに狐狸庵先生シリーズは全く興味がなく一冊も読んでいない。
映画「沈黙」に戻る。
Prime Videoにこの作品が含まれていることは勝手に表示されるお勧め作品などから知ってはいたけれど、当初はなんとなく食指が伸びなかった。
理由は特に思い当たらないが、ここ数年の教会アレルギーや上記小説の印象が潜在的に影響したのかもしれない。
あえて見てみようと思ったのは出演者の中にリーアムニーソンが含まれていたからである。
そして予告編で見たこの映画の色でもあった。
往々にして映画の色というものは国柄、強いて言えば風土というものを映すように思える。
ヨーロッパ、特に北欧の映画はくすんだブルーグレイ。
ロシア映画はグリーングレイ。
イタリア映画は埃っぽいブラウン。
などという感じ。
無論例外も多々あるし、全ての映画を見比べたわけでは無いのであくまでも直感的印象。
季節や時代背景によっても当然違ってくるだろう。
日本映画といえば、これがなんとも形容がし難い無個性で、どちらかというと余りにもあっけらかんなイメージが先行する。
監督や映像スタッフは本当に色というものを意識しながら作っているのだろうか、と思いたくなる程あまりにも天然なのだ。
無論これも全ての日本映画を見比べたわけでは無いのであくまでも雑感である。
「山」をテーマにした映画でいえば木村大作監督の「剱岳 点の記」が有名だが、その素晴らしい現地ロケや登山考証、俳優陣の見事さに比較して脚本、演出が見劣りがする。
特に主役の浅野忠信の演技あるいはセリフはひどい。
そしてフィルムの色。
コントラストに乏しいくすんだ黄色はモノクロ時代の人工着色写真のようだ。
あるいは時代背景を考慮し、敢えてそうしたのかもしれないが、黄砂の舞い飛ぶ春山ででも撮ったのだろうかと思えてくる。
同じ木村大作監督の「春を背負って」も同様。
まるで戦後間もない草創期のカラー映画を思い起こさせる色だ。
そんな中で最近見た原田眞人監督の「日本のいちばん長い日」は良かった。
そして「沈黙-サイレンス」にも出演していた塚本晋也監督の「野火」も「色」を意識した素晴らしい映画だ。
俳優としての塚本晋也の「沈黙-サイレンス」も本当に素晴らしく、まさに同時代に生きた人物のリアリティーを感じさせる。
減量もさぞかし大変だったことだろうと思わせる極端に痩せた体。
再度映画「沈黙」に戻る。
まず海の描写がいい。
ロドリゴとガルぺが初めて日本に足を踏み入れるシーン。他の島のキリシタンの要請に応じて船で渡り、重暗く砕ける波の中を浜に向かって歩くシーン。
あるいはモキチ、イチゾーが十字架上で殉教する磯の描写。
そしてガルぺが船上から海に突き落とされるキリシタンの村人を助けようと殉教するシーン。ここは珍しく明るく日の差す晴天でのロケであるけれど。
映画のどこを取っても、フレーミングやアングル、俳優の表情の捉え方が素晴らしい。
俳優そのものの演技のリアリティも主役端役にかかわらず見事だ。
浅野忠信の演技も出色。
映画は監督だな、としみじみ思わされる。
リーアムニーソンは今回は脇役だが、やはりその存在感は圧倒的だ。
和服もよく似合い、主役のアンドリュー・ガーフィールドとアダムドライバーを貫禄の演技で引き立てていた。
全編を通底する悲しみを湛えた海と空、古びた日本家屋やその柱の色、闇と光、全てが完全な調和を描いている。
この夏はそんな映画を見ることができた。