「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾を巡る谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
島崎藤村晩年の長編「夜明け前」はこのような有名な書き出しで始まっています。藤村の父をモデルとした青山半蔵を主人公に、幕末から明治にかけてこの山深い街道沿いの一地域と宿場町の本陣を守る一族が時代の激動に翻弄されてゆく過程が歴史的エピソードを交えて語られるこの作品は同時に中部山岳の古き良き自然の様子や地域文化をも伝えてくれる貴重な資料ともいえるものです。
木曽路の嶮岨なことは中山道随一であったようですが、中でも奈良井と藪原を繋ぐ鳥居峠と棧(かけはし)は一番の難所であったと伝えられています。
今回の鳥居峠越えは奈良井を起点としました。奈良井は木曽十一宿の中でもその町並みが往時のままに良く保存されていて、かつてはan・non族が大挙押し寄せた場所ですが、今では大分落ち着きを取り戻し、この季節には人影もまばらです。そんな閑散とした通りを抜けて旧道への入り口を目指す頃には鈍色の空からまばらな雪片が落ちてきました。
雪のない時期には石畳が美しい古道も今はすっかり雪に覆われ猟師と犬らしき足跡が続くだけです。幾重にも重なる山ひだを巻きながら高度を上げてゆくとやがて先行者の足跡も絶え、くるぶしの上ぐらいの積雪の中いにしえの旅人に想いを馳せながらの峠歩きとなりました。周辺は植林されたカラマツ林で少々木曽路の風情には欠ける嫌いがありますが、ダンコウバイのつぼみも膨らみ始めていて、雪雲に覆われた山の斜面の鈍い色を背景に薄明かりのような春をひっそりと灯していました。
ニホンザルに剥かれたヤナギの木が杉木立を背景に白く目立つのも先日の上高地を思い出させる光景です。やがて左手にトチの大木が多く見られるようになると峠は真近でした。
木曽路は全て山の中である
「葬沢史跡」は武田勝頼軍敗戦の舞台でもあった
路傍の馬頭観音が往時を偲ばせる
峠付近の大トチ
峠の上には少し立派すぎる休憩舎があり、寝袋があれば一晩くらい過ごすには快適でしょう。水も豊富です。ここでは旧国道が交わり少々興ざめな場面にも出会いますが、古道を辿って旧跡を訪ね、やがて御岳遥拝所の大鳥居に辿り着くとこの峠越えも核心となります。御岳講信者の寄進した石仏が林立する彼方には御岳の勇姿が望めるのでしょうが、今回は雲の彼方でした。
そしてここは幕末、公武合体の象徴として京から江戸へと降嫁した皇女和宮を始め多くの幕臣や勤王の志士たちがまちがいなく越えていったその場所でもあります。
暫くは吹き付ける寒風に身をさらしながらそんな歴史に想いを馳せていました。
ここからは電光形に斜面を区切る峠道をひたすら藪原宿を目指して下るだけです。やがて道は再び石畳へと変わり集落が見え始めると国道へは一息となります。現在の国道は鳥居トンネルを抜け、最短距離で奈良井へと通じていますが、それ以前の旧道は鳥居峠を越える悪路で大雪が降ると周辺の集落から住民が出て除雪に当たったと帰りのタクシーの運転手さんから聞きました。
国道を横断しても藪原の駅まではかなりの距離を歩きます。奈良井と違い古い建物が軒を連ねる風景はほとんど失われていますが、その分そこに住む人々のリアルな生活感が感じられ、まさに「山の中である…」風情を垣間見ることが出来ました。
藪原の駅も多くの山村のそれと同様今では場違いに大きな駅舎が小雪の舞う中にひっそりと佇み、がらんとした待合室に飾られた古い写真などが一層栄枯盛衰の風情をかき立てていました。
立派な休憩舎
水は豊富
御岳遥拝所の鳥居。峠の名の由来ともなった
御岳は雪雲の中
藪原駅はまさに木曽の佇まいを感じさせる