冬の上高地を訪れるには、まず釜トンネル歩きの通過儀礼から始めなければなりません。 所々に設置された距離表示灯のぼんやりした照明以外は横を歩く人の顔さえ分からない程の漆黒の闇を通過するとまさに外界と隔絶されたような上高地の冬の風景が広がります。 夏期シーズン、あれほど多くの観光客に占拠されたいたこの場所も、山小屋はもちろん全ての観光施設は固く閉ざされ、人の営みは完全にぬぐい去られています。 周囲に屏風のように立ち上がる焼岳や霞沢岳、六百山も厳かな風格をたたえ、夏の心浮き立つような佇まいとはひと味違った表情を見せています。あまりにも見慣れ過ぎた河童橋からの穂高連峰の絵はがき的な山容でさえも雪に覆われた厳しい姿には原初の恐れに似た感情さえ覚える程です。
今回はスノーシューツアーのご案内での上高地行きでした。 -15°C近い寒気の中最初に遭遇したのはバス道路にまで達する巨大なデブリ(雪崩の跡)。先月の急激な気温上昇の際に発生したものでしょう。 こんなのに巻き込まれたらひとたまりもありません。 雪崩の種類によっては営業運転が始まったばかりの新幹線「はやぶさ」並の速度で流れ下ります。 どんなに優れたアスリートでも敵いませんね。 こういった場所に行き当たったら出来るだけ速やかに通過するか、あきらめて戻るのが賢明です。 皮肉にも雪崩に遭わない唯一の方法は、「雪のあるところには絶対に行かない」ということになっています。
大正池からは林間の木道に沿うルートを辿ります。木道表面からは約1mの積雪の上を歩いていることになります。それが分かるのは川にかかった橋の上だけ。カラマツや裏白モミ、そして上高地を代表するハルニレの巨木の中を自由に縫って、時には池のほとりに出て朝日の当る焼岳の勇姿を眺めながらのトレッキングを楽しみます。こんな風に樹々とじっくり向き合えるのも他に目を惹くものの少ない冬ならではのこと。 やがて梓川の畔を辿るようになると河童橋も真近です。芥川龍之介の最晩年の小説「河童」にも登場するこの橋は現在のもので5代目。初代は明治24年に懸けられたそうです。 この橋のたもとにあるヤナギの巨木が有名なケショウヤナギ。これも上高地の代名詞となっている樹木ですね。北海道以外の本州で初めて発見されたのが昭和2年。この年は芥川龍之介が自殺していることでも知られています。
そして冬の上高地で目を引くのが無惨にも皮を剥かれた樹々。 その多くはヤナギの仲間です。 冬でも冬眠せず、高い木の上まで自由に駆け回ることが出来る動物といえば、りす?あるいは何かの鳥?いえいえ違います。そうニホンザルです。 今回も幸運なことに帰途の作業道上から盛んに樹皮を食べまくっている群れに遭遇することが出来ました。 静寂の上河内を味わっていただいた後に訪れた思わぬプレゼントとなりました。